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レア!NADA JOVIC&DUSKO GOYKOVICH QUINTET / Take Me in Your Arms(CDアルバム)

¥2,500 税込

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CDアルバム「NADA JOVIC&DUSKO GOYKOVICH QUINTET / Take Me in Your Arms」
ZOUNDS (ZS-004)試聴は下部リンクより。

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ユーゴスラビアのtp奏者ダスコ・ゴイコビッチ、マル・ウォルドロン(p)らによる幻の録音音源。
1966年に録音され、そのまま眠っていたプライベート・マスターが2002年にイギリスのみ
で静かに極小枚数CD復刻される。当時日本にはほとんど輸入されずに一部のマニアのみに流通。'10年前後ではCDでは破格の5桁超えのプレミア価格がついて話題となる。そして2013年、ついに日本独自の復刻を果たした。(現在廃盤)

ダスコ・ゴイコビッチ名義の欧州きっての名盤「スインギン・マケドニア」の独オリジナル盤は通称「踊り子ジャケ」と呼ばれているが、その踊り子とは!!?推測の域を出ないながらも、驚愕の事実がこのアルバムに隠されている!
執筆者、小川充氏のライナーを熟読頂きたい。タイトル曲はじめ全9曲がハイライト。コアなジャズリスナーからクラブミュージック愛好家、DJにまで幅広いファン層にアピールできる内容。


欧州ジャズ・ファンにとって、ダスコ・ゴイコヴィッチは特別な存在なのだろう。2000年代になって欧州ジャズの再発が次々と進む中、この旧ユーゴスラヴィア、現在のセルビア共和国出身のトランペット奏者が関わった諸作はいつも発掘の対象となってきた。さて、そうしたダスコ・ゴイコヴィッチの軌跡を振り返ってみると、彼の活動にはいくつかのピーク期が存在しているが、やはりダスコの華々しさと言えば、1960年代中期の録音となるだろう。クラーク=ボラン楽団にも抜擢され、まさに欧州ジャズの黄金期を謳歌していた頃だ。『Swinging Macedonia』がそうした時期の代表作で、サル・ニスティコとカール・フォンタナとの3管で録音した『BelgradeBlues』や、クラーク=ボラン楽団作品であれば『Swing, Waltz,Swing』で、その雄姿を拝見できる。ここに紹介するナダ・ジョヴィッチとの共演作『Take Me In Your Arms』は、表向きは女性歌手であるナダの伴奏を務めた作品だが、1960年代中期のダスコ絶頂期の演奏が収められた裏名盤なのである。実は、この『Take Me In Your Arms』は長らくお蔵入りとなっていた音源であった。録音は1966年なのだが、2002年に初めてCD化されるまで、誰も耳にしたことがなかった。ダスコ・ゴイコヴィッチがマスターテープを所有しており、それをコズミック・サウンズのオウナーであるジェリコ・カルレタに聴かせたところ、そのあまりの素晴らしさに感嘆し、これは絶対に世に出すべきものであるとCD化された次第だ。1966年というのはダスコにとって重要な年だ。『Swinging Macedonia』、『Belgrade Blues』、『Swing, Waltz, Swing』の録音があり、主にドイツとユーゴスラヴィアを行き来して活動していた。このうち、『Swinging Macedonia』はドイツのケルンで8月30日、31日に行われた。録音メンバーはアメリカから渡欧したマル・ウォルドロン(ピアノ)とネイザン・デイヴィス(テナー&ソプラノ・サックス、フルート)、ドイツ人のピーター・トランク(ベース)、オランダ人のシーズ・シー(ドラム)、イタリア人のエディ・バスネロ(アルト・サックス)だった。そして、『Take Me In Your Arms』の録音は1966年9月のケルンで、メンバーはこの『Swinging Macedonia』のセッションと全く同じなのだ。つまり、『Swinging Macedonia』の録音が終って数日のうちに、そのままレコーディングに入ったのだろう。『Swinging Macedonia』はフィリップス・スタジオだったが、『Take Me In Your Arms』についてはその記述はない。契約などの問題もあるので、あえて伏せているのかもしれない。
本作の主人公であるナダ・ジョヴィッチについては、ほとんど記録は残っていない。それもそだろう、彼女はこれ以外に一切のレコーディングを行っていないのだから。そもそも彼女は本職のシンガーではなく、バレリーナだった。ナダは1928年5月16日にユーゴスラヴィアのノヴィ・バセイという町で生まれ、生後間もなくして首都のベオグラード(現在はセルビアの首都)に移った。12才でオーストリアのウィーンのバレエ学校に奨学生として入学し、その後ドイツのハイデルベルグ、そしてフランクフルトへと移住する。1949年に母の病気の看病でベオグラードに戻り、しばらくそこで生活していた。当時は国立劇場のバレリーナとして働いており、その傍らで趣
味として歌もやっていた。特にジャズが好きだった。ただ、趣味と言ってもその情熱には並々ならぬものがあったという。ほどなくしてナダはアル・コヴィッチという機械技師と知り合い、恋に落ちる。彼もまた大のジャズ愛好家で、国営楽団のRTBビッグ・バンドでトランペットも演奏していた。ふたりは一緒に曲を作り、アルはアレンジを手掛けた。1950年にナダは国立劇場から独立し、アレキサンダー・ネサック・トリオの伴奏で公演活動を行っている。ナット・キング・コールの作品を基にした内容だった。1951年にナダとアルはカナダへ移住し、そこに生涯の住まいを構える。1966年にニューヨークへ出向き、そこでふたりはいくつかの楽曲の歌詞を書き、アレンジを行った。それが『Take Me In Your Arms』の基となるものである。そして、ふたりはケルンへと飛び、かつての友人であるダスコ・ゴイコヴィッチに演奏を依頼したのである。もちろんダスコは快諾し、共同でアレンジも手掛けてくれた。メンバーは前述のとおりで、リハーサルも行わず、一日で録音してしまった。商業目的のレコーディングではなく、あくまでナダの個人的な愉しみのための記念的セッションだったようで、それで長らく発表もされることなく眠っていたのだろう。楽曲はおなじみのスタンダード中心で、いくつかオリジナル曲も入れている。ほとんどは英語で歌っているが、ネイティヴのアメリカ人ではないので、ややクセのあるアクセント。そこが独特の味をもたらしている。ビリー・ホリデイを祖とする女性ジャズ・シンガーの系譜に基づく歌い方だが、テレサ・ブリューワーのような白人シンガーならではのスタイルがミックスされ、さらにカテリーナ・ヴァレンテのようなヨーロッパのポップ・シンガーからの影響も感じさせる。まさに、この時代ならではのシンガーと言えるのだが、今のステイシー・ケントなどのルーツを見ることもできるだろう。こうした録音が約半世紀も後に復刻されることについては、改めてジャズの歴史を検証する大切な資料であるとの意義を強調したい。ユーゴスラヴィア出身のジャズ・シンガーは極めて少なく、そうした点で非常に貴重な録音であると共に、ダスコ・ゴイコヴィッチの『Swinging Macedonia』のアナザー・セッションが実は存在していたという、欧州ジャズの歴史的にも極めて重要な発見が本作なのだ。『Swinging Macedonia』のジャケット
の踊り子には、一体何の意味があるのだろうと常々思っていたのだが、そこにバレリーナだったナダ・ジョヴィッチという存在があったことを考え合わせるのは、想像し過ぎというものだろうか・・・。

小川充(初出2013年)

試聴:YOUTUBE
https://youtu.be/0JP9IHGsfvo
https://youtu.be/lTaG2MgdJk4
https://youtu.be/FVRR6KHdo2U

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